海の底で流れたスペインの珠玉の調べ

グラナドス(1867〜1916)作曲、《12のスペイン舞曲》より「アンダルーサ」
芸術の神に愛された音楽家は、ときに悲しい最期を与えられることがある。20世紀前半のスペインを代表する作曲家、エンリケ・グラナドスの場合は大西洋の海の藻屑となって天に召された。1916年のこの日、彼はオペラ《ゴイェスカス》のアメリカ初演の成功の美酒に酔いながら祖国に戻るサセックス号の船上にいた。
船がドーヴァー海峡に差し掛かったとき、ドイツの潜水艦Uボートから魚雷が発射された。
ギター曲としても愛奏されているグラナドスのピアノ音楽の代表作が、1892年に書かれ彼の名声を世に広めた《12のスペイン舞曲》である。なかで最も親しまれているのが、アンダルシア地方の風景を描いた第5曲「アンダルーサ」だ。
孤独なつぶやきを思わせる変則的なリズムの上で嘆きの歌が切々と奏でられる3部形式の音楽で、中間の真珠の輝きを思わせるメロディは、まるでグラナドスの非常の死を予告していたかのように、哀愁を帯びて美しい。

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大詩人ゲーテ没

ゲーテの詩に書かれた不滅のドイツ歌曲
シューベルト(1797〜1828)作曲、歌曲《野ばら》
ドイツの詩人で作家のヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749〜1832)が他界した日である。クラシックの歌曲に詩を提供した詩人は数多くいるが、『若きヴェルテルの悩み』で脚光を浴びたゲーテは、詩才にも優れ、名歌曲が生まれるとき、母のような役割を果たした。
ゲーテの詩に多くの音楽を付けたのがシューベルトである。ゲーテ=シューベルト作品は《魔王》《憩いのない愛》《ミューズの子》など、リート(ドイツ語歌曲)の宝庫。なかでも《野ばら》は世界中で民謡のように歌われている彼らの永遠のヒット曲だ。
近藤朔風の日本語詩は「 童は見たり、野なかの薔薇、清らに咲ける、その色愛でつ、飽かずながむ、紅におう、野なかの薔薇」であるが、原詩は、男の子がばらを乱暴に扱い、ばらは男の子をとげで刺すが、結局折られてしまうという内容。男の子の乱暴な行いに対するばらの抵抗を描いた歌である。

ベートーヴェンにも影響を与えたピアノ音楽

チェコ楽壇の祖ドゥシェク没
ドゥシェク(1760〜1812)作曲、ピアノ・ソナタ変ホ長調《パリへの帰還》より第1楽章
18世紀後半のチェコに、ヤン・ラディスラフ・ドゥシェク(ドゥシークとも)という作曲家・ ピアニストがいた。当時のチェコはオーストリア帝国の支配下にあった小国だったが、芸術文化の先進国であった。モーツァルトより4歳年下、ベートーヴェンより10歳年長のドゥシェクは、19歳からリサイタル活動を始めた。その頃はまだ、作曲家=演奏家だったから、いわゆるコンサート・ピアニストとしては最初期の一人で、歌うようなレガート奏法(滑らかに奏でる)と名人芸的なテクニックは大いにもてはやされ、イギリス、フランスからロシアに至るヨーロッパで精力的に活動した。
作曲家で優れた教師でもあったドゥシェクが残した作品は、ピアノのための協奏曲と独奏曲がほとんどである。例えば、CDで聴ける《パリへの帰還》と題されたピアノ・ソナタにも、多彩な技巧と多感な情趣が感じられ、ベートーヴェン、メンデルスゾーンなどのピアノ音楽を予告している。

オペラ歌手カルーソー、初録音

アルプスの雪に託して騎士がうたう愛の歌
マイアベーア(1791〜1864)作曲、歌劇《ユグノー教徒》より「アルプスの雪より白く」
昔の演奏を聴けるのは、ひとえにレコードなどの録音ドキュメントのお陰である。もし、コンサートに行かないと音楽が聴けなかったら、私たちの音楽体験は随分と貧しいものに違いない。
今日は、20世紀前半に活躍した“歌劇王”エンリコ・カルーソー(1873〜1921)が、1902年に一流演奏家として初めて本格的な録音を行ったとされる日。「とされる」などと曖昧に書くのは、いくつかの記録に当たると、4月11日だったり、他の日だったりするからだ。
それはさておき、イタリア・オペラの名テノール歌手列伝の先頭に挙げられるカルーソーを聴く日にしよう。
彼は21歳で初舞台を踏み、ミラノ・スカラ座を振り出しに、世界中のオペラハウスで大活躍した。“伝説のテノール”の美声が『伝説の誕生/カルーソー1902〜1905』というCDで聴ける。どれも名アリアだが、パリで活躍したマイアベーアの歌劇《ユグノー教徒》の「アルプスの雪より白く」にしよう。

稀代の福音史家歌手ヘフリガー没

故郷を離れる若者の希望と感傷をうたう旅立ちの歌

シューベルト(1797〜1828)歌曲集《白鳥の歌》より「別れ」

バッハの《マタイ受難曲》や《ヨハネ受難曲》の名エヴァンゲリスト(福音史家)として絶大な評価を得たスイス出身のテノール、エルンスト・ヘフリガーが2007年に没した日である。
オペラ歌手としても世界的に活躍したが、33歳のとき《ヨハネ受難曲》の福音史家でコンサート・デビューしたという経験からも窺えるように、宗教音楽とドイツ・リート(ドイツ語歌曲)の歌手として素晴らしい実績を残した。

ヘフリガーが最も高く評価された福音史家は、レチタティーヴォという朗読形式の歌唱がほとんどなので、彼の気品溢れる美しい声を偲ぶ歌は、シューベルトの“3大歌曲集”のひとつ、《白鳥の歌》の「別れ」にしよう。馬に乗ってさすらいの旅に出る若者の心は希望に満ちている。だから別れに際しても、悲しい歌はうたわないが、再び故郷の風景を見られるのかという不安もある。馬の歩みを思わせる軽やかなリズムに乗って、旅立つ若者の心意気と感傷が巧みにうたわれる。